「回復は人間関係の網の目を背景にしてはじめて起こり、孤立状態においては起こらない」 20240119 安部第8回

声のコラム8は、ジュディス・L・ハーマンによる『心的外傷と回復<増補新版>』を取り上げます。
大きな災害や事件に際し、PTSDという言葉がよく聴かれます。PTSD(心的外傷後ストレス障害)について、日本トラウマティック・ストレス学会は、次のように述べています。

米国精神医学会診断統計マニュアル第5版(DSM-5)の基準によれば、PTSD(心的外傷後ストレス障害Post-Traumatic Stress Disorder)とは、実際にまたは危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力など、精神的衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、特徴的なストレス症状群のことをさします。出来事の例としては、災害、暴力、深刻な性被害、重度事故、戦闘、虐待などが挙げられます。そのような出来事に他人が巻き込まれるのを目撃することや、家族や親しい者が巻き込まれたのを知ることもトラウマ体験となります。また災害救援者の体験もトラウマと成り得ます。(日本トラウマティック・ストレス学会HPより)

ハーマンの『心的外傷と回復』は、心的外傷の諸相とその治療、回復への筋道を示したものであり、世界中で読まれてきた1冊です。ハーマンは、心的外傷について以下のように述べます。

心的外傷とは権力を持たない者が苦しむものである。外傷を受ける時点においては、被害者は圧倒的な外力によって無力化、孤立無援化されている。外力が自然の力である時、これは災害である。外力が自分以外の人間の力である時、これを残虐行為という。通常のケア・システムは、自分は自分をコントロールでき、人とつながりを持て、自分がいることには意味があるという感覚を人々に与えるものであるが、外傷的な事件はこのケア・システムでは及ばない圧倒的な力を持っている。(p.48)

2024年1月1日16時10分過ぎに発生した令和6年能登半島地震では、自然の圧倒的な力により未だに多くの人々が無力化・孤立無援化されたままです。また、直接自分が被災していなくとも、家族や親しい人が巻き込まれたり、その映像を目にしたことでつらい気持ちになっている人もいるでしょう。このような外傷体験に際して、私たちは何もなすすべがないのでしょうか。ハーマンは、心的外傷からの回復は、人とのつながりによって起こると述べます。

心的外傷の体験の中核は何であろうか。それは、無力化disempowermentと他者からの離断disconnectionである。だからこそ、回復の基礎はその後を生きる者に有力化empowermentを行い、他者との新しい結びつきを創るcreation of new connectionsことにある。回復は人間関係の網の目を背景にしてはじめて起こり、孤立状態においては起こらない。(p.194)

つまり、心的外傷からの回復はひとりではなしえません。ところが、甚大な災害に直面したり、大事故に見舞われたとき、他者に助けを求めることが難しいこともあります。外傷体験は、人々から言葉を奪うものだからです。だからこそ、周囲の治療者、支援者、周りの人々に求められることがあります。それは、リフレーミングです。支援を受けることは、「あなたの勇気を証明する行為」であり、弱いからではないということを具体的に伝える必要があります(p.234)。

回復のための第一原則はその後を生きる者の中に力を与えることにある。その後を生きる者自身が自分の回復の主体であり判定者でなければならない。その人以外の人間は、助言をし、支持し、そばにいて、立ち会い、手を添え、助け、温かい感情を向け、ケアをすることはできるが、治療(cure)するのはその人である。善意にあふれ意図するところももよい救援の試みの多くが挫折するのは、有力化という基本原則が見られない場合である。(pp.194-195)

そしてハーマンはある女性の言葉を引用します。「よい治療者とは私の体験をほんとうにまともに取り上げて確認してくれ、私が私の行動をコントロールできるように助けてくれる人のことで、私をコントロールしようとする人のことではない」。ところで、このことは、子どもが被災者であるとき、なおいっそう難しくなります。災害に際し、子どもはどのようにして回復の主体となり得るのか、2月24日の公開シンポジウムでこの続きをみなさんと共に考えたいと思います。

参考文献
ジュディス・L・ハーマン著、中井久夫・阿部大樹訳 2023『心的外傷と回復<増補新版>』みすず書房
一般社団法人日本トラウマティック・ストレス学会 https://www.jstss.org/ptsd/

(工学院大学教授 安部芳絵)

「声のつながり大学」内「声のコラム」 第66回 2024年1月19日放送アーカイブ