アデル・ヴァン・レート(Adèle Van Reeth)『慰められない者』(Inconsolable)とジェローム・ガルサン(Jérôme Garcin)『私の弱き家族たち』(Mes Fragiles) 20230901(第26回)

 今回は、コロナ禍のさなかで近親者を亡くした2人のフランス人作家が、その体験に基づいて書いたそれぞれの作品を取り上げ、文学における言葉と近親者の死の表象の問題を考えます。
最初は、アデル・ヴァン・レート(Adèle Van Reeth)『慰められない者』(Inconsolable)です。アデル・ヴァン・レートはテレビやラジオの文化番組を担当するかたわら、エッセイなどの文筆活動をしてきました。2023年の2月に発表された『慰められない者』は、2年におよぶ闘病生活の後、コロナの最中に亡くなった父親について1人称で書かれた作品です。作品は、「冬」「春」「夏」「冬(ふたたび)」とわかれており、四季という自然の流れを感じさせます。しかしその時間の流れは、悲しみの永続と対立します。この作品ではフロイトのいう「喪の作業」、愛する者は現実にはこの世界にはいないのだと吟味する作業が根本から否定されます。もちろん、作者はたえず悲しんでいるわけではありません。自分のまわりには友人が、家族がいて、彼らの生をこよなく愛しはします。死の悲しみと生の喜びは二律背反のものではなく、心のなかに同居しているのです。悲しみが心のなかにとどまり続けるからこそ人は決して、心の悲しみから癒える存在ではない、なぐさめられうる存在ではないのです。
なぜ悲しみと生き続けるかといえば、悲しみこそが生きている者と死者とのつなぎうるからです。とはいえ、作者が父親の不在を強く感じざるをえないことには代わりはありません。そしてまた忘却にたえずさらされることも事実です。特に作者は、父親の声は、いつか忘れてしまうかもしれないと言っています。たとえ心の中で、その声を思い出し、その声で何かことばを発したとしても、それは結局自分が言わせようとした言葉にすぎないと言います(p. 111).
この作品の特徴として、父親についての詳しい言及はあまりないということが挙げられます。それよりも作者自身の動揺や、あるいは死についての考察などが多くのページを占めています。それについて、作者はラジオ番組「レプリック」で、「父親を言葉にすることは、その言葉によって父親を固定してしまうことであり、それは父親をますます死に近づけてしまう」と述べています。
二作目は、ジェローム・ガルサンの『私の弱き家族たち』(Mes Fragiles)です。ガルサンもラジオの文化番組を長らく担当してきたジャーナリストであり、作家です。ガルサンは母親を亡くし、その半年後に、弟のロランを亡くします。ロランは脆弱X症候群をわずらい、既往症があったのですが、直接の死のきっかけはコロナにかかったことでした。主題のfragilesとは「脆弱な」とか「壊れやすい」という意味です。それはロランが病をかかえて脆弱な存在だったこと、また母親も子供も前ではとても強い人だったが、内心にはつねに「弱さ」を抱えていたこと、そして作者本人も、近親者の死の体験によって心が弱くなっていたこと、こうしたさまざまな弱さを意味しています。
このように、この作品もヴァン・レートの作品と同じく、肉親の死を主題としていますが、今述べたように、この作品では母親のこと、弟のことが詳しく語られます。それについて作者は、ヴァン・レートとともに招かれたラジオ番組「レプリック」で、それは二人の痕跡を残すためだと述べています。特に母親も弟も熱心に絵を描いていたのですが、書くことは、そうした二人の強い繋がりを残すことになるのです。それをガルサンは「死者の現在性」(p. 81.)と呼びます。ガルサンにとって死者を思うことは、死者が今現在に存在していることの確証となり、書くことは、書く者と死者がともに生きることの確証となるのです。
この2つの作品を読み比べると、ことばと他者の死はきわめて複雑な関係をもっていることがわかります。言葉にすること、特に書くことは、ガルサンが言うように、その人の存在を記憶に留めることにつながります。また死者を思うことは、その死者を今現在へとよみがえらせる、強い喚起力も持ちます。一方で、言葉はたえず一般性へと開かれているために、そのかけがえのない対象をカテゴリーの中にあてはめ、また名付けることによって、その人を固定化してしまう暴力性をはらんでいます。また言葉の持ち主が生きている私である以上、私によって書かれた存在は、あくまで私を通した他者にすぎません。ヴァン・レートが言うように、他者の声は結局私を通した声に過ぎないのです。
文学の挑戦は、このことばの本質である、一般性と主観性という2つの拘束からいかに自由にことばを創造するかということにかかっています。その意味で、肉親の死という主題は、文学にとってもっとも難題であり、難題であるからこそ、作家は格闘したくなるのかもしれません。

参考文献
Adèle Van Reeth, Inconsolable, Gallimard, 2023
Jérôme Garcin, Mes Fragiles, Gallimard, 2023

France Culture, Répliques
https://www.radiofrance.fr/franceculture/podcasts/repliques/l-ecriture-du-deuil-8456572

慶應義塾大学 國枝孝弘

声のつながり大学2023年9月1日(金)放送アーカイブ