ディデエ・エリボンは誰の声を聞いたか 20240301(第29回)

「ことばにならない声/声にならないことば」。今回は、フランスの哲学者・社会学者であるディディエ・エリボンの著作『ランスへの帰郷』『人生、老い、そしてある庶民階級女性の死』の2冊を読みながら、作品に記される、著者自身の母の声の意味について考えていきます。
ディディエ・エリボンは1953年に地方都市ランスの貧しい労働者の家庭に生まれました。その環境の中で、哲学、文学に興味を持ち、その世界に魅了され、やがて生まれ育った環境を離れていきます。エリボンは、地方の労働者階級からパリの知識人階級へと自分の立場を変えた人とだと言えるでしょう。そのエリボンが父の死を契機に、ランスへ戻り、そこから自分の半生を振り返った本が2009年に出版された『ランスへの帰還』です。
とはいえ、この本は単純な伝記ではなく、父母の、そして自分自身の生まれ育った社会的な境遇について、さらにその境遇から時代との関わりまで、個人・家族・社会・国家の複数のレベルで構成されています。またエリボンは自らが同性愛者であることから、自分の人生は、2つの領域、すなわち地方労働者階級という社会的な領域と、同性愛という性的な領域の2つによって印づけられていると述べています(p. 216.)。
この本の中で注目したいのは、夫を亡くした、著者の母親の存在です。母親は極めて貧しい生い立ちで、自分自身の父親の顔を知らず、また戦争中から戦後にかけては孤児院に入れられ、教育もまともに受けることはできず、家政婦や、結婚してからは工場で働いてきました。その母親の人生を語ることを通して、エリボンの一家庭の困難さだけではなく、なぜ労働者階級が苦しく、非人間的な(p. 74.)生活を送らざるをえなかったか、地方の労働者の社会の構造的支配への批判が展開されていきます。
この本には社会学的な考察と、その社会のただなかにあった母親が息子のエリボンに語った具体的なことばが等しい重みをもって書かれています。家政婦として働いた先の家庭でひどいいやがらせにあったこと、自分自身の母親との緊張関係、またエリボンが学業を続けていく姿に対して、「私には一度もできなかったよ…」とか「私は一度もしたことがないね…」といった表現をしていたことなどが詳細にしるされます。またそうした直接的な言葉に加えて、父母の投票行動や人種差別などことばの端々に現れる政治的な態度も書かれています。そうした個別具体な両親の存在に近くから向かいながら、エリボンはフランス現代社会についての考察を展開しているのです。
『ランスへの帰郷』は、父の死をきっかけに書かれた本ですが、2023年には母の死をきっかけに本を書きます。それが『人生、老い、そしてある庶民階級女性の死』です。父の死後一人暮らしをしていた母親ですが、だんだんと一人では暮らせなくなり、息子たちは彼女を老人ホームに入れることにします。しかし入居後、わずか数週間して母親は亡くなってしまいます。その理由の一端は、それまでの人間関係や生活空間、時間の過ごし方など、なじみのある関係性から母親が断ち切られてしまったからでははないかとエリボンは言います。この本でも、母親という一人の個別的具体的な存在の描写と同時に、現在のフランスの高齢者の福祉問題、ケアにあたる人々の劣悪な労働環境、そうした分野に参入してくる新自由主義資本、そして老いと死に対する社会のネガティヴな認識まで、さまざまな現代的な問題が考察されます。
母親の老い、特にはっきりと意思を伝える能力も落ちてきて、母子の間で意思疎通ができなくなっていった体験を通し、エリボンは、もはや動くことも、発言することもできなくなっていく老人たちは果たしてどう「声」をあげることができるのか、そして私たちはその代わりに語ることが果たしてできるのか、と問いかけながら、「ことばにならない声/声にならないことば」の限界として老人の問題を考えようとします。
それは極めて難しい問いであり、答えは見つかりません。ただその困難さをエリボンは自分の体験としてかかえようとします。この体験と社会学的考察を行き来しながら、人々が声をあげるための条件を考えるーそれがエリボンという哲学者の根本的な姿勢です。

慶應義塾大学教授 國枝孝弘

声のつながり大学2024年3月1日(金)放送アーカイブ