ペレック、ゼーバルト、ロベール・ボベールをつなぐ、アメリカに渡ることのできなかった移民の声 20210402放送(第1回)

ヨーロッパからアメリカに移住する際に、検疫のため必ず寄らなければならなかったエリス島。ジョルジュ・ペレック『エリス島物語』(青土社)は、フランスの作家ジョルジュ・ペレックによる、このエリス島についてのエッセイと、移民としてアメリカにわたってきた人々へのインタビューがおさめられたドキュメンタリー作品です。その際、映像監督のロベール・ボベールがペレックに同行し、インタビューを映像を撮影しました。作品にはボベールの曽祖父の話もでてきます。曽祖父は1900年アメリカに渡ろうとしますが、このエリス島で目の病気を診断され、送還されてしまい、アメリカに住むことはありませんでした。
私たちは多くの移民がヨーロッパからアメリカへ渡ったことは知っています。しかしそのひとりひとりの生はどのようなものだったのか。その個人の生に焦点をあて、声を聞き取ろうとした記録が『エリス島物語』ですが、ボベールの曽祖父のように、移住を果たせなかった人々、その人たちの存在の声はよりいっそう聞き取ることが困難です。しかし移民に「なれなかった」人々は確実にいたわけです。
それで思い出すのが、W・G・ゼーバルト『移民たち』(白水社)です。この作品の中にも、アメリカに渡ろうとしたが、実は到着したのはロンドンだったという人の逸話がでてきます。アメリカへの移住を望みながらも、予期せぬ運命に翻弄される人々。その人々は偶然の中で自分の生を送り、そして亡くなっていったわけですが、アメリカ移民の歴史からこぼれおちてしまったこうした人々の声は想像するのも困難です。
ゼーバルトの名前は、ロベール・ボベールの2020年の著書 Par instants, la vie n’est pas sûre, (P.O.L.)に出てきます。引用されているのは『土星の環』(白水社)から。それは名前をめぐる逸話です。第二次世界大戦下で「ドイツとオーストリアの協力のもとクロアチア人によって行われたいわゆる民族浄化作戦」(p. 97.)によって移送される子どもたちが空腹のあまり、名前が書いてあったボール紙を食べて、名前が消されてしまったという話です。名前がなくなることは、存在そのものがなくなることに等しい。名前を奪われ、存在を消された子供たちの声を私たちはどうしたら聞くことができるでしょうか。
ペレック、ゼーバルト、ボベールをつなぐのは、声にならない言葉をかき集めよう、書き取ろう、そして創造しようとした困難な筆記の試みだったのです。

(慶應義塾大学教授 國枝孝弘)