声なき祖父と私の起源、François Noudelmann, Les Enfants de Cadillac 202200506(第13回)

 第二次世界大戦が終結してもうすぐ80年になろうとしています。この80年という時間は、人々の社会に対する認識が大きく変わる節目だと述べた研究者がいます。それはある出来事が起き、どれほど多くの人がその出来事の体験を覚えていたしたとしても、80年すればその体験者はみな亡くなってしまっているからで、80年がたてば、社会にはその出来事の非体験者しかいなくなるのです。
だからこそでしょうか。フランスの歴史の分野でも、文学でも、80年前の世界大戦について書く作品が非常に多く出版されています。歴史的なアプローチについては「去年フランス21世紀の歴史叙述における一人称の語り~」というタイトルでお話をしました。今回取り上げたいのは、小説です。というのもフランスの一番権威があるとされるゴンクール賞のノミネート作品に、この主題を扱った作品が何作もあったからです。ゴンクール賞を受賞したサールの「人間の最奥の秘密」は、主人公はアフリカの出身ですが、100年にわたってアフリカの人々が戦争に巻き込まれていった100年を背景にしています。今回取り上げたいのは、候補作の一作であったFrançois Noudelmann「カディヤックの子どもたち」です。表紙に小説とはうたれていますが、1958年生まれの著者が、フランスへ移民してきた祖父、そして父について一人称で語った作品です。Noudelmannの祖父はリトアニアの出身ですが、1911年にポグロム、ユダヤへの迫害のためフランスに移民としてやってきます。そしてフランス国籍を取得するのに一番手っ取り早い方法は、戦争に志願することでした。こうして祖父は志願兵として第一次世界大戦に参加します。だがそこで待っていたのは想像を絶する体験でした。寒さのなか塹壕に止まり、頭上では激しい爆撃の音がする。戦争から戻ってきたときには、祖父はすっかり精神を病んでいました。戦後は病院に送られて、悲惨な環境の中で過ごすことになります。やがてフランス国籍を取得するのですが、本人はそれもわからずじまいでした。ヌーデルマンはいいます「祖父は言葉のない存在の空白の中に沈んでいったのだ」と。そして第二次世界大戦のなか、精神病院は困窮を極めるのですが、そこでの人々の生活がどのようであったのか想像するしかありません。なぜなら「誰も精神を病んだ人々の声を聞こうとはしない」からです。こうして対戦中の1941年祖父は息を引き取ります。最後にヌーデルマンは言います。移民は三世代目になってようやく統合されるのだと。その三世代目であるヌーデルマンは、しかし移民という出自にこだわること、また統合をはたしたフランス国民であることを標榜することに否定的です。それは自分の起源というものに確証がないからです。みずからがフランス国民になったのは、祖父が移民したからである。だがその祖父の人生のあらましはたどることはできても、そもそも祖父の声は奪われていました。社会もそして病院においやった家族もその声を聞こうはしませんでした。声を奪われ、心の平安の場所を見出すことのできなかった祖父と私自身がもしつながりうるならば、それは存在のよるべなさという一点においてではなかったでしょうか.

                                                                                                              (慶應義塾大学 國枝孝弘)

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