戦争の記憶と日記 小泉敦著『「北」のまなざし―日記でつづる近現代史―』20240315菊池第5回

今回は、この二月に刊行されたばかりの、『「北」のまなざし―日記でつづる近現代史―』という本を紹介します。著者の小泉敦さんは、『青森県史』や『新編八戸市史』などの編纂事業で、おもに近現代史を担当し、また、長い間、中学校で社会科の教員として教えてきました。
この本は、副題が示しているように、県史・市史の資料調査によって見つかった、個人の日記や学校日誌、ハガキ、文集など、文章から「生の声」が聞こえてくる、文献資料を活用して、青森県における近現代史、とりわけ昭和の始まりから二十世紀の終わりまでの地域の歴史を、庶民や女性、子どもたちの目線で振り返っています。
そのさい、特徴的なのは、日本近現代史全体の動きを、きちんと押さえたうえで、それが地域に及ぼした影響など、わかりやすく、ていねいに述べていることです。加えて、教員としてのまなざしがあってこその叙述となっています。
本書は七つの章からなっています。戦後史のある部分は、私がまだ郷里にいたころの出来事ですので、新産業都市・八戸のブームや、一九六八年の十勝沖地震のことなどはよく覚えています。しかし、それ以前、戦前・戦中、敗戦直後のことになると、親が自身の体験や親族のことについて、話すのを聞いたくらいで、地域で何が起っていたのか、ほとんど知らないのです。その親も亡くなると、聞きたくても聞くことができません。それは私という、個人的レベルの問題ではなく、社会全体の問題であるのですが、語る体験者がいなくなったとき、それに代わるものとして何があるのでしょうか。もし、本人が書き残した日記、手記のようなものがあれば、それを読むことによって追体験が可能となります。
第三章が「戦争の時代」と題して、それぞれに異なる境遇・体験をもった人の「日記」を用いて、彼らがどのような状況に置かれ、何を思い、生きていたのか、リアルに描写されています。個人の名前はここでは控えておきますが、輜重兵といって武器の輸送や食料の配給に携わったAさんは、中国に出征し、戦地の様子や軍隊での生活、凄惨な場面の目撃など、また、家族や故郷を思い、帰郷したい気持ち、戦争に対する嫌悪や疑問までも書いていました。Aさんは除隊となり、帰ることができましたが、四年後再び招集され、「墓島」、墓の島と呼ばれた南洋のブーゲンビル島に派遣され、そこで戦病死しています。
このAさんのほかに、上海の赤十字病院に勤めていた衛生兵のBさん、少年飛行兵で、仙台の航空養成所で訓練を受けたあと、ベトナムから台湾に向かう途中、撃墜され亡くなったCさん、神奈川県の三菱重工へ学徒動員されたDさん、沿岸に造られた防空監視哨で、敵の飛行機を見つけて報告する女子挺身隊員のEさん、そして国民学校の教員であったFさんの日記が取り上げられています。それらの日記を重ね読むことによって、戦争が人びとの生き死にとどのように関わっていたのか、複眼的に捉えることができます。当時の日記は、埋もれたままのものが、まだまだあるでしょう。大切にして、個人が無理ならば、博物館や文書館などで保存・活用していきたいものです。
このうち、女子挺身隊員のEさんは、小泉さんの依頼で、八十六歳のとき、中学校で「私が見た戦争」と題して講演をしています。当時の様子について詳しく語っていますが、そのなかで、「私たちは子どもの時から、明治二十七年の日清戦争で勝ち、それから十年後は日露戦争で…大国に勝ち、小学校の教科書や唱歌でも敵と戦って勝ったことばかり聞かされてきたので、日本は必ず勝つと信じて育ちました」、と述べていたのが印象的でした。
戦後も八十年近くになり、アジア・太平洋戦争の体験者が、年々少なくなっていくという現実のなかで、戦争の記憶を、不戦の誓いとなるよう、世代を超えて、どのように伝えていくのか、考えさせてくれる一冊でした。

宮城学院女子大学名誉教授 菊池勇夫

【書誌情報】
小泉敦『「北」まなざし―日記でつづる近現代史―』川口印刷工業八戸営業所 二〇二四年二月一日、二二〇〇円+税 三一〇頁

声のつながり大学 2024年3月15日放送 アーカイブ