今回は、森鴎外の作品「大塩平八郎」を取り上げてみましょう。大坂町奉行元与力であった大塩平八郎がその門弟らとともに決起したのは、天保8年(1837)のことでした。昨年(2022年)は、森鴎外没後100年にあたり、歴史小説の代表的作である「大塩平八郎」にも光があてられることになりました。大塩の乱はその日のうちに鎮圧されましたが、鴎外は事件のあった2月19日という「一日の間の出来事」にしぼって、「史実に推測を加えて」書いたと、作品の「附録」に明かしています。この「附録」を読むと、鴎外が歴史小説をどのように考え、執筆していたかがよくわかります。
鴎外は、「大阪大塩平八郎万記録」という一冊の写本を見て、大塩を調べてみようと思い立ち、大塩に関して、当時最も詳しい幸田成友、幸田露伴の弟になりますが、その『大塩平八郎』を読み、昔の地図なども参考にして、「伝えられた事実を時間と空間との経緯に配列」してみたそうです。つまり、時刻がはっきりわかっている出来事をまずおさえたうえで、その前後や間に、時間が曖昧であるが、知られている出来事を盛り込み、事実関係に矛盾が生じなければ、すべてが正確だと証明できないにしても、記載の信用は高まるとし、それを鴎外が試みたというのです。もちろん、「その間に推測を逞くしたには相違ないが、余り暴力的な切盛や、人を馬鹿にしたような捏造はしなかった」と、述べています。歴史小説としての作法のみならず、歴史研究の方法、態度にもつながる重たい言葉となっています。
作品のなかで、決起を前にしての平八郎の心のうちを書いています。そのごく一部をあげておくと、去年(天保7年)は5月から雨続きで、冬のように寒く、秋は大風大水があり、東北を始として全国の不作となった。…学者としての志は遂げたとはいえ、連年の飢饉、賤民の困窮を、目を塞ぎ、見ないではおられなかった。…上の驕奢(おごり)と下の疲弊(つかれ)がこうまでなったのをみては、…旁看(傍観)してはおられない。…己はとうとう誅伐と脅迫とによって事を済(な)そうと思いたった…と。この平八郎の思いの極りは、「大塩平八郎檄文」に書かれています。現代語訳もされていますので、ぜひ読んでみたいものです。災害、飢饉は為政者の政治のおこないが悪いことによって起る天の戒めであるという、天譴、天罰論に私自身も注目してきました。
鴎外は、平八郎の「暴動の原因は、簡単に言えば飢饉である」、ほかにも種々の説があっても、たいていは「揣摩(しま)」(憶測)であると断言しています。もし、平八郎が手腕を発揮できる立場にあって救済の方法を講ずることができたなら、暴動は起こさなかったであろう、しかし、そうした救済の道が塞がれていたために、貧民の味方となって、官吏と富豪とに反抗して、当時の秩序を破壊しようとしたのだ、と評しています。貧富の差に目を向けた、「社会問題」としてみる鴎外の視点は明白です。鴎外は平八郎の思想を「未だ覚醒せざる社会主義である」と述べています。なぜこうした作品を書いたのか、その背景には、幸徳秋水らが弾圧された、明治43年(1910)の大逆事件があると指摘されてきました。作品を生み出した時代との関わりで読み解く必要があるということでしょう。
幸田成友以降、大塩に心を寄せる人たちによって、大塩の書翰や建議書などが新たに発見され、研究が進んできました。鴎外の作品に親しむために、現在の大塩研究がどのようなものか知っておきたいものです。昨年末、藪田貫さんの『大塩平八郎の乱』が刊行されましたが、それに応えてくれるでしょう。歴史学は、奇をてらうようなことをいうのではなくて、地道に史料を探索し、その意味するところを深く掘り下げていくところに価値があります。藪田さんの本と、森鴎外の作品を合わせて読むことを、勧めたいと思います。
森鴎外『大塩平八郎 他三篇』(岩波文庫、2022年4月、本体740円+税)
藪田貫『大塩平八郎の乱』(中公新書、2022年12月、本体880円+税)
(宮城学院女子大学名誉教授 菊池勇夫)
「声のつながり大学」内「声のコラム」 第44回 2023年2月17日放送