書籍紹介:藤本清二郎・竹永三男編『「行倒れ」の歴史的研究―移動する弱者とその救済―』(部落問題研究所、2021年12月)20220519菊池第5回

 今回は、藤本清二郎・竹永三男編『「行倒れ」の歴史的研究』という本を紹介します。副題には「移動する弱者とその救済」とあります。「行き倒れ」(ゆきだおれ)は〈いきだおれ〉とも言いますが、国語辞典的には、病気や疲れ、寒さ、飢えなどで路上に倒れること、あるいは死ぬことを意味しています。「倒れ死に」(たおれじに)という類似の言葉もあります。明治32年(1899)に「行旅(こうりょ)病人及行旅死亡人取扱法」という法律ができましたので、法律のうえでは「行旅病人」「行旅死亡人」と呼ばれるようになりました。助けて保護してくれる人がいない、あるいは死亡して引き取る人がいない場合、その所の市町村が救護などにあたることになっています。現代社会の身寄りのない人の死や、孤独死も視野に入れて、福祉行政のあり方を問う一冊になっています。

東北地方の飢饉のことを調べてきましたから、江戸時代の史料をみていますと、ときに、あるいはたびたび、行き倒れ、倒れ死にに関する記事が目に入ってきます。ごく最近、目にとまったのは、仙台藩の大肝入の記録に出てくる、元禄12年、1669年になりますが、倒れ死にの人をどのように葬るかという記事でした。どこの人か調べても分からない身元不明者の場合、「野山」や「海道」であっても、発見した場所に埋めて、その旨を書いた札を建てておくだけであったのですが、それでは「葬礼法事」もせずに「野山」に捨て置くことと同じなので、これからは、その近くにあるお寺に葬ることにする、というものでした。将軍徳川綱吉の時代ですが、この時期の〈生類憐れみ〉の思想の影響とみることができるでしょう。

さて、前置きが長くなりましたが、本書は、編者が中心となって始めた「行き倒れ」や「弱者救済」をテーマとした共同研究の成果で、14名の執筆者が論文を寄せています。日本の古代、近世、そして近現代にわたり、さらに国際地域史比較という観点から朝鮮やイギリスに関する論考も収められています。

ここでは江戸時代に関する論考5本だけにとどめますが、大坂道頓堀の南にあった千日墓所やその周辺、伊勢神宮領の朝熊村、信濃善光寺の門前とその周辺の街道筋。摂津国神戸(かんべ)村とその周辺、それぞれの地域で発生した行き倒れについて、文書・記録から事例を拾い出し、村・町、あるいは藩・幕府の対応が具体的・実証的に明らかにされています。

傾向としては、伊勢参詣や善光寺参詣、そして四国の遍路と、宗教的な旅における行き倒れが多く取り上げられています。一ヶ月や二ヶ月にも及ぶ参詣の旅でしたから、それだけ旅先で行き倒れが数多く発生していたことになります。むろん、行き倒れは人の移動と関係していますから、こうした参詣旅行のほか、本書では「出稼ぎ型」といっていますが、武家奉公や商いなど渡世にかかわる移動中にも発生しています。こうした参詣や出稼ぎの場合には、また元の村や町に戻るのが前提になっていますが、往来手形、今でいうパスポートになるでしょうか、それを持参して、身元が確かな場合には、旅の途中で病気をしても、その所で薬を与えられて養生し、また国元へも知らせてくれるなど、救護・保護が受けられるシステムが、江戸時代の中期に整えられていくことが明らかにされています。この本では東北地方についてはそれほど言及されていませんが、大きくは異なっていないでしょう。

いっぽう、往来手形を持たず、乞食・非人状態化している場合には、そうした保護が受けられない、「貧窮没落型」と呼んでいる行き倒れ人もまた多かったことがわかります。むしろ、こちらの方が「弱者」としては重要かと思いますが、大坂の千日墓地の行き倒れは、都市における身元の分からない「非人」の人たちの事例でした。四国遍路では巡礼としての遍路と乞食・勧進行為の線引きの曖昧さが指摘されています。私の関心は、主として飢饉時に発生した「流民」とその行方にあるのですが、「流民」の倒れ死には「貧窮没落型」の行き倒れと扱いが共通するところがあります。社会全体の受けとめの問題として、両者の関係を一度整理してみる必要があると思いました。

(宮城学院女子大学名誉教授 菊池勇夫)

ラジオ3「声のつながり大学」内「声のコラム」第26回 2022年5月19日(金)放送