書籍紹介:野本寛一『言霊の民俗』(講談社学術文庫、2021年、初出は人文書院、1993年)20211015菊池第3回

民俗学者の野本寛一さんが書いた『言霊(ことだま)の民俗誌』という本があります。最近、講談社の学術文庫に収められました。その文庫版あとがきに、三橋美智也が歌った『達者でナ』の歌詞が引かれていました。

わらにまみれてよヨー 育てた栗毛 今日は買われてヨー 町へ行く オーラ オーラ 達者でナ オーラ オーラ 風邪ひくな ああ風邪ひくな 離す手綱がふるえふるえるぜー

昭和35年(1960年)、横井弘作詞・中野忠晴作曲で、発表された歌です。当時、まだ小学生でしたが、ラジオから流れてくる、どこか心がなごむ、やわらかい三橋美智也の歌声が、のどかな農村の風景と溶け合っていたのが、思い出されました。1960年代は高度成長の時代になりますから、地方の田舎の暮らしも大きく変貌し始めた頃にあたります。まだ、農家の馬屋(うまや)には馬がおり、道路を馬車が行き交いしていました。町では馬力大会もありました。そして、みるみるうちに、目の前から馬が姿を消していきました。

この「達者でナ」の歌詞に出てくる、「オーラ オーラ」という言葉に野本さんは注目しています。「わらにまみれて」や「オーラ、風邪引くな」は、サトウハチローが作詞した『めんこい仔馬』という童謡からの本歌取りだと指摘されています。この「オーラ」とはなんでしょうか。それは、馬が言うことを聞かず暴れるときに、なだめる「鎮めことば」だというのです。同じく野本さんの『牛馬民俗誌』という本には、馬を飼っていた農家の事例が一〇例ほど紹介されています。そのひとつ、岩手県花巻市の大正9年生まれの男性は、「馬に言うことを聞かせたいときには「オーラ」「オーラ」と声をかけた」のだそうです。青森県や長野県、鳥取県の事例もあげられていますので、全国に共通しているのでしょう。

野本さんは、人と馬がどのように交わってきたのか、人と馬の感情が響き合っている、交感・交情の世界に踏み込んで、それをつなぐ言葉として、「オーラ」に関心を向けたのでした。牛馬を取り上げた研究はたくさんあるのですが、そこまで関心が行き届いている仕事というのはそうあるものでありません。そして、一朝一夕になったものでもありません。

この『言霊の民俗誌』は、おもに呪いの歌や、民謡を取り上げて、暮らしの文化がどのように受け継がれるのか、その伝承のされかたについて述べています。野本さんは「学びの旅」といっていますが、調査の先々で出会った、男性であれ女性であれ、土地の人々、とくに年配の古老の人たちの言葉、語りに耳を傾けてきました。あらかじめ調査項目を決めて聞き取るのではない、自然体の会話のなかから立ち上がってくるようです。この「オーラ、オーラ」という馬への掛け声もそうした古老たちの証言から掬い上げられたものです。

私は、江戸時代の文字史料を使って、当時の東北・北海道における人々の生活世界を明らかにしようとしてきました。人と馬とは密接な関係にありました。たとえば、馬産地である南部地方の八戸藩では、時期によって変動していますが、およそ人口6万人前後とみて、馬が2万頭を超えるときもありました。盛岡藩も人口比でそれと同じ、あるいはそれ以上の馬がいたと考えられます。農家の暮らしは、田を耕し、物を運んでくれる馬の働きなしには成り立ちませんでした。南部馬は、そればかりでなく、育てた馬主のもとを離れて、博労の手に牽かれ、南東北や関東にも売られていきました。町へ、遠くへと、売られていく馬もあったのです。『達者でナ』の歌は、そうした江戸時代からの長い生活習俗が消えかかっていくころの歌でした。「オーラ」の掛け声は、馬のいる日常の暮らしがどんなものであったのか、あらためて想像をかきたててくれました。

(宮城学院女子大学名誉教授 菊池勇夫)

ラジオ3「声のつながり大学」内「声のコラム」2021年10月15日放送

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