水俣病が、今も終わっていない現在の問題でありつづけていることを通して、声を聞くことの困難さと可能性を考える20211105放送(第8回)

【ことばにならない声 声にならないことば】

 今回は、水俣病が今も終わっていない現在の問題でありつづけていることを通して、声を聞くことの困難さを可能性について考えてみたいと思います。2021年ジョニー・デップが写真家ユージン・スミスを演じて、彼の水俣での行動を描いた映画が日本で公開されました。またドキュメンタリー映画作家原一男が、20年をかけてとった6時間12分の作品「水俣曼荼羅」をこの11月に公開します。
先日その水俣曼荼羅の試写会に行ってきましたが、その上映の際に原監督は6時間の映画にはなったが、本当はもっと多くの時間をかけたかったと言っていました。それにはもちろん編集の段階でカットされてしまった声もあります。ただそれだけではなく、インタビューをしたかったのに、話を聞きに行く前になくなってしまった方、また話を聞きたかったのにカメラに映ること、さらされることを拒否した方もいたとのことです。6時間の映画を見終わっても、いや6時間みたからこそ、水俣の声はこの6時間だけはなく、聞かれなかった声がもっとももっと存在しているのだという実感を強く持ちます。
ところで水俣をうちしたドキュメンタリー映画といえば、土本典昭監督の一連の作品、特に「不知火海」があげられるでしょう。原監督自身、土本監督が先発、自分は中継ぎだから、だれかクローザーをつとめる人が出て欲しいといっていました。
土本監督が水俣について書いた文章は、岩波現代文庫に『不敗のドキュメンタリー』として編纂されています。そのあとがきを書いた栗原彬は、水俣・東京展で、土本がとった遺影の展示について次のように述べています。

会場の一角に「記憶と祈り」と題された遺影空間が立つ。土本典昭監督と助手の青木基子さんが、水俣・東京展での展示のために水俣病患者の遺族の家を一軒一軒訪ねて集めた五〇〇人の遺影を、ここでは広い円筒の内側に収めた。五〇〇人のうち、水俣での展示を了承された遺影は四二二人(中略)。展示を断って黒い紙で覆われた遺影は七十八人だった。遺影集めの当初から土本さんたちに遺影の撮影を拒んだ患者家族、そして今回黒い紙を貼った人々が、どのような思いを抱えて日々を過ごしているのか。聞こえない声に耳を澄ますことができるか。(土本典昭『不敗のドキュメンタリー 水俣を撮り続けて』(309ページ)

このように私たちは発されなかった声を現実には聞くことができません。それでもしかしその聞かれなかった声の向こうに、沈黙した人間の確かな存在があります。その存在にどうしたら私たちは近づくことができるのか、そしてその心の片鱗に万が一でも触れる可能性を私たちがどうしたら持てるのか。
そのほとんど絶望的ともいえる試み、それでもしかしその声にことばをあてがっていこうとする試みそれが文学です。その声の文学、それが石牟礼道子『苦海浄土』です。たとえばこの作品の中には、石牟礼道子が病院に会いにいった水俣病患者坂上ゆきさんの声がそのまま書き写されています。そして、その声の間に、夫婦での仕事の情景が挿入され、そこでゆきの夫のゆきへの思いがわずかに書き込まれています。声を超えて、人々の心の中に、波を立てることなくひっそりと入っていき、さらに内心の声を聞き取ること、ここに文学の意味があるのかもしれません。

(慶応義塾大学 國枝孝弘)

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