書籍紹介:ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』(新潮社、2016年)今中第1回20210917

今回は、ジュリー・オオツカの、『屋根裏の仏さま』という本をご紹介したいと思います。アメリカでは2011年に刊行され、日本では2016年に新潮社から翻訳が出ています。

この作品の主人公は、無数の「写真花嫁」たちです。19世紀後半、多くの日本人が、移民としてアメリカに渡りました。その多くが肉体労働に従事する独身男性で、彼らは日本に住む親族を通じ、写真や経歴の交換だけで花嫁候補を探しました。縁談が成立すると、花嫁たちは一度も花婿に会うことのないまま日本で入籍をすませ、アメリカの夫のもとへと旅立ちます。異国の地ではじめて会う夫の容姿や経歴が聞かされていた話と大違いであっても、大半の花嫁たちは帰国する手だても持たず、そのまま慣れない土地での辛い労働の日々に耐え続けなければなりませんでした。

この本は、そんな「写真花嫁」たちが、期待に胸をふくらませてアメリカに渡る、船のシーンで始まります。

この作品の大きな特徴は、無数の写真花嫁たちのひとりひとり異なる経験が、「わたしたち」という一人称複数で集合的に表現されている点です。作者であるジュリー・オオツカは、さまざまな文献から史実を抽出し、当事者たちの声を織りまぜてこの作品を執筆したということです。当然、それぞれの体験はまったく同じというわけではありません。例えば、アメリカに到着した日に花婿にだまされていたことに気づき、その乱暴さや今後の生活に絶望してしまう女性も多かった中で、優しい男性とめぐりあい愛を育んだ女性もいたわけですが、時に相反するそれら個人個人の声が、すべて「わたしたち」の体験として連続的に描写され、膨大な数の声の集まりがひとつの物語をかたちづくっていきます。

そのような中、「彼ら」「彼女ら」という三人称複数で描かれる人々が出てきます。それは、農園での厳しい労働やメイドとして働く暮らしが描かれる中で登場する、アメリカ人の雇用主や住民たちです。安い賃金・劣悪な環境で日本人移民を働かせる悪者としての描写もあれば、親切にいろいろなことを教えてくれる善良な人々としての描写もあります。現地の人々への複雑な感情は、次のような一節から垣間見ることができます。「わたしたちは彼女たちが大好きだった。彼女たちが大嫌いだった。彼女たちになりたかった。」

物語の後半は、真珠湾攻撃後の変化が描かれていきます。日系移民をとりまく環境は不穏な空気に包まれ、女性たちがやっと異国での生活に慣れ、出産や育児を経てようやく手にしたささやかな幸せも、少しずつ失われていきます。まず裏切者とされた夫たちが連行され、最後には子供を含めた一家全員が収容所へと移送されます。

最後の章は、日本の人たちが去った後の街の様子が、アメリカの人々の視点から描かれます。ここまで「彼ら」「彼女ら」として描かれてきたアメリカ人たちが、今度は「わたしたち」となり、すでに街の一部となっていた日系人たちの消失を語ります。それは、かつて隣人であった彼らの痕跡が失われていく過程であり、人々が彼らを忘却していく過程でもあります。

この本の作者、ジュリー・オオツカは、戦後日本からアメリカに移住した父と、日系二世である母との間に生まれました。家族のルーツに着想を得た処女作『あのころ、天皇は神だった』では、日系人の強制立ち退きと収容所への移送の歴史を、家族のそれぞれの視点から描き、注目を集めます。

このデビュー作のブックツアーで多くの日系人から声をかけられ聞かされた、実在の「写真花嫁」たちの物語が、本書『屋根裏の仏さま』を執筆する契機となったのだそうです。あとがきで作者のインタビューでの発言が紹介されていますが、それによると、作者はこの本を執筆することによって、公的な歴史の中には登場しない、女たちの人生を拾い上げて記録したかった、といいます。

なお、本書のタイトルとなっている「屋根裏の仏さま」はアメリカ社会への同化を強いられた日系移民たちが捨てざるを得なかった故国の文化や生活の象徴であり、彼女ら/彼らの心の片隅に残された日本人としてのアイデンティティの痕跡を表しているのだということです。

(大阪産業大学 今中舞衣子)

==参考文献==

ジュリー・オオツカ(著)岩本正恵、小竹由美子(訳)『屋根裏の仏さま』新潮社、2016年 原題:The Buddha in the Attic

ジュリー・オオツカ(著)小竹由美子(訳)『あのころ、天皇は神だった』フィルムアート社、2018年 原題:When the Emperor Was Divine

 

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