自分の声を聴くということ~「スピーチ・ジャマー」から「自己触発」まで~ 20211217 越門第3回

 

今回は、自分の声を聴くということについて考えてみます。
スピーチジャマーという面白い装置があります。発せられた声を、その声を発した本人に、一定時間をおいて聞こえるようにするものです。この装置を使うと、自分の声がワンテンポ遅れて聞こえてくる、という不思議な体験をすることになります。
微妙に遅れたタイミングで自分の声を聞くという状況は非常に稀です。山でヤッホーと叫ぶとその声が返ってくるあの木霊あるいは山彦はその稀なケースの一つでしょうし、また、輪唱も類似のケースと言えるでしょう。しかし、スピーチジャマーによる経験がこれらのケースと異なるのは、人が話している間中ずっと、話している声がそのまま、ほんのわずかな瞬間の遅れを伴って本人に聞こえてくる、という点です。さて、その時、何が起こると思いますか?ちなみに、このスピーチジャマーは、「人々を笑わせ、考えさせる研究」に与えられるイグノーベル賞を2012年に受賞しています。私たちもぜひ考えてみましょう。
なんと、話すことができなくなるのです。黙ってしまうのです。スピーチジャマーというネーミングはこの効果に由来しています。もともとこの装置は、際限なく話し続けるおしゃべりな人に黙ってもらうことを目的として設計されたのだそうです。
しかし、なぜ話すことができなくなってしまうのでしょうか。開発者の一人である栗原一貴氏によると、「聴覚遅延フィードバック」という原理が利用されているとのことです。スピーチジャマーは、話している人の声をマイクで拾って、0.2~0.3秒遅れで本人に声を送るのですが、この遅延フィードバック操作が脳を混乱させ、話し続けられなくするというわけです。
脳の仕組みや働きについての詳細な説明はさておき、この現象の意味するところを考えてみましょう。
言葉を話す時、私たちは自分の声を聞いています。ただし、物音を聞くように聞いているわけではないはずです。なぜなら、話しているときに聞こえてくる物音が発話をストップさせるということは起きないからです。確かに、気が散って話す意欲がなえるかもしれません。が、それは、スピーチジャマーがもたらす沈黙とは異質なものです。この沈黙が意味すること、それは、言葉を話し続けることができるためには、自分の声が特定の仕方で聞こえていなければならない、ということでしょう。
この事実は、言葉を話すという行為についての素朴な理解に合致しません。素朴な理解というのは、話すことはすでに頭の中で出来上がっている考えを口から音声として発して完結するプロセスであって、声の聞こえは一種のおまけ、余分な付け足しである、という捉え方のことです。この理解が正しいとすると、頭の中の考えとそれを声に出すことは、声の聞こえにほんのわずかであれ時間的に先行していますから、聞こえ方から影響を受けるはずはありません。発せられた言葉が聞こえるより一瞬先に、その言葉を話す行為は終了しているからです。しかし、自然なタイミングから0.2,3秒遅れて声が聞こえてくると、人は話せなくなる。これが事実です。そうだとすると、やはり声の聞こえは話す行為に影響を与えているはずです。ただ、その影響が直接的に及ぶのは、すでに発せられた言葉そのものではなく、来るべき次の言葉に対してであると思われます。つまり、すでに発せられた言葉の声の聞こえ方が、それに続いて別の言葉を発しようとするその意識のありようを決定するのです。だから、発声と聞こえの自然なリズムが乱れると、次の言葉が出てこなくなるわけです。
声の聞こえ方が後続の発話に影響を及ぼすとき、その要因となるのはリズムだけではないでしょう。例えば、口にした表現がしっくりこなくて言葉に詰まってしまうとか、自分の発した声の響きが意外に力強くて、それに勇気づけられ自信を持って話し続ける、といった経験はないでしょうか。聞き取られた自分の声は、意味や感情のレベルでも意識に働きかけ、後に続く発話行為を左右すると考えられます。
ジャック・デリダというフランスの哲学者は『声と現象』という本の中で、私たちが自分の声を聴くときに生じていることを、「自己触発」という難解な概念を用いて説明しています。ずっと以前に読んだ時はよくわからなかったのですが、自分の声が自分を触発するとは、今日お話ししたようなことを言っているのかなあ、とふと思いました。

それではまた。

(明治大学 越門勝彦)

ラジオ3「声のつながり大学」第18回 内「声のコラム」 2022年12月17日(金)

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