集合的トラウマを考える  20230317 安部第6回

声のコラム第6回めは、東日本大震災後につくられた『震災後に中高生が果たした役割の記録プロジェクト報告書』(2013)に掲載された兵庫県立舞子高等学校環境防災科の生徒の声と、集合的トラウマに関する1冊の本をとりあげます。
舞子高校環境防災科は日本で初めて、防災を専門に学ぶ学科として阪神淡路大震災後の兵庫県に設立されました。高校生たちは、大きな災害があると被災地域に向かい、そこで「何かお手伝いできることはありませんか」とたずねてまわります。当時高校2年生だった野村ゆずさんは、東日本大震災の発生からまもなくの2011年5月に東松島へ行きました。1軒1軒たずねて回って、最後のお宅をたずねたとき、そのおうちの方から「(あなたたちは)高校生だからできることはない」と言われてしまいます。
野村さんは、防災を専門に学んできて今回も何か少しでも役に立てたらなという気持ちで行ったものの、高校生だからできることはないという言葉を突き付けられ「あぁやっぱりできることはないんかな」と無力感を感じます。でもちょっと粘ってなんとかそのお宅で活動させてもらうことになります。マットを洗ったりいろいろして、2日間活動させてもらいました。加えて、休憩時間には被災のお話を聴かせてもらい、2日めの最後にはそのお宅の方から「ありがとう」と言われます。
野村さんは、その後も合わせて4回そのお宅に行かせてもらい、卒業旅行でもおうかがいする計画を立てていました。「ずっとつながりたい」と言います(pp.38-39)。
ここで思い起こされるのは、カイ・T・エリクソンによる『そこにすべてがあった バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』です。エリクソンは、1972年の冬のバッファロー・クリーク大洪水で被災をした方々へのインタビューとフィールドワークを通して、「集合的トラウマ」の実態を明らかにしました。
トラウマ(PTSD:Post Traumatic Stress Disorder 、心的外傷後ストレス障害)が、「集合的」ということに違和感を抱く方もいるかもしれません。エリクソンは、バッファロー・クリークの被災者が経験したトラウマは、「双方が密接に関連してはいるが別個の相を持つ二つの側面-「個別的トラウマ」と「集合的トラウマ」-から見ることができる」(p.176)と指摘します。「個別的トラウマ」とは、人びとの精神がダメージを受けることによって起きるものです。これに対して、「集合的トラウマ」は、社会生活の基本的構造が打撃を受けることによって起きるといいます。「集合的トラウマは、気が付かないくらいゆっくりじわじわと人々の意識に作用していくため、いわゆる「トラウマ」という言葉から連想される突発性とはかけ離れて」います。そして、「それは、自分たちを守ってくれていたコミュニティがもはや存在せず、自己の重要な一部が消失してしまったことを、少しずつ自覚していくということだ」と指摘しました(pp.176-177)。
エリクソンは、「共同体(Community)」ではなく「共同性(つながり)Communality」という用語を用いています。「コミュニティを喪失したと住民が嘆くとき、かれらがいっているのは、特定の村落の領域のことではなく、人間の生活環境を形づくっている網目状の人間関係のことであり、それを強調したい」からです(p.219)。

ここで私が示したいのは、バッファロー・クリークの生存者が体験したトラウマ的症状のほとんどは、災害それ自体への反応であるとともに、コミュニティの損失に対する反応であるということである。(p.229)

もちろん、災害によるコミュニティの損失に対する反応としての集合的トラウマは、そうそう解きほぐせるものではありません。しかし、共同性の問題であるならば、つながりを編みなおすことはできないでしょうか。
当初、「高校生だからできることはない」という言葉を突き付けられながらも、なんとか家の片付けを手伝わせてもらった野村さんたちは、それだけでは終わりませんでした。地元に帰ってからも手紙のやりとりを続け、再訪問を繰り返すうちに、「まるで本当の孫みたい」「宮城にもうひとりおばあちゃんができた」と、互いが感じるように変容していきます。
環境防災科の生徒たちのつながりを編みなおす取組は、集合的トラウマを考えるてづるとなるように感じます。

カイ・T・エリクソン著、宮前良平・大門大朗・高原耕平訳2021『そこにすべてがあった バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』夕書房
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 2013『震災後に中高生が果たした役割の記録プロジェクト報告
書』

(工学院大学准教授 安部芳絵)

「声のつながり大学」内「声のコラム」 第46回 2023年3月17日放送