震災を体験した人々の声についてー くどうれいん『氷柱の声』(講談社、2021年)(第165回芥川賞候補作品)を通してー20210806放送(第5回)

この小説の主人公は岩手県盛岡市の高校に通い、美術部で活動する、伊知花(いちか)という高校生です。震災から数ヶ月後、いちかは、顧問の先生から、被災地の人々にあてた絵画コンクールに絵を出展するようにと促されます。彼女の絵は高い評価を受け、作品集の表紙を飾り、そしてあるとき新聞社のインタビューを受けます。しかしそのインタビューでわかったことは、人は彼女の絵自体を見ているわけではないという事実です。人は絵を見る前から、その絵に「希望」や「絆」など読み込みたいメッセージを期待して、いわば絵を手段にして、そうしたメッセージを受け取ることを望んでいるのです。
このインタビューにまつわる出来事には2つの意味があると思います。ひとつは、内陸部に住む自分、すなわち実際には被害を受けていない自分が、震災をテーマにした作品を描くことのおこがましさ。ふたつめは、震災を語るときには、「希望」や「絆」など大きな意味が出来事にかぶさってしまうということです。こうしたことを思う伊知花は、自分自身の声を失っていきます。
この2つの意味は、彼女がその後出会う二人の人物にも強くかかわっています。一人は福島出身のトーミという女性。もう一人は大学時代に知り合った宮城出身の中鵜というボーイフレンドです。この二人は東北出身ですが、家族を失ったり、家を失ったりといった体験はしていません。そして二人ともが自分のことを「何も失っていない人間だ」と認識し、その自分に対して引け目を感じ続けています。
しかしこの小説の登場人物たちはみな、伊知花も含めて「何も失っていない」が、実は失っているものがあります。それは震災について語ろうとする声自身です。「何も失っていない」と自分のことを思う人々は、実は声を失っているのです。震災から9年後、伊知花は地元のフリーペーパーの会社に勤め、編集部で仕事をしています。その伊知花にひとつの転機が訪れます。それは松田という青年との出会いです。彼は震災で、家族を全て失った人物です。震災後、松田は、まわりから「かわいそう」という目を向けられ続けます。それでも松田は伊知花に次のように言います。「自分は現実を生きるしかない」と。「これまでの自分の過去の物語もふくみこんで、今生きているのだ」と。
震災から10年経ち、伊知花は勤めている会社でイラストを描くようになります。この絵を描くということが彼女に深い喜びをもたらします。その絵はかつてのように震災に奉仕するための絵ではありません。むしろ同僚が「伊知花の絵には終わりのない祝福があるね」と、意味を発見してくれる絵なのです。絵という表現、これこそが彼女にとっての「声」であり、そしてこれこそが彼女がこれからも続けていく日常の証なのです。

(慶応義塾大学 國枝孝弘)