黒川裕子作『#マイネーム(ハッシュタグ・マイネーム)』  20230721 安部第7回

声のコラム7では、黒川裕子による『#マイネーム(ハッシュタグ・マイネーム)』を取り上げます。本書は、児童文学に分類される作品ですが、そこに描かれているのは、子どもたちの気持ちが仲間と出会うことで形になり、言いたいことを声として発する権利行使のプロセスにほかなりません。
千葉県銚子市、海とキャベツのまちにくらす中学1年生の明音(みおん)は、両親の離婚により名字が変わります。入学したばかりの杜中では、名字に「さん」を付けて名前を呼ぶ「さんづけ」運動が始まります。明音は、「最悪だ。新しい名前をわざわざさんづけで強調されるなんて」(p.16)とため息をつきます。
そんなとき明音は、SNSで地元中学生限定のスレッド【自分の名前がきらいなやつ集まれ #マイネーム 】に出会います。スレッド主のビオが、“さんづけ”運動をどう思うか、と問うと、次々とメッセージが届きます。そのうちの一つは次のようなものでした。

だいたい、教職員と保護者と教育委員会で決めたとかって、どうなの。うちらの名前のことなのに、なんでうちらにきかないの(pp.92-93)。

“さんづけ”運動をめんどくさがっている子、いやがっている子もいれば、受け入れられるという子もいます。これに対し、ビオは「生まれてからこれまで、きみが自分で決めたことがいくつある?」「大人がなんでもかんでも勝手に決めることが、たまらなくいやなんだ」「呼ばれたい名前を書いた、自分だけの名札をつけてみないか」と提案します。
そして、1年1組では「奇妙な名札」をつける生徒が現れはじめました。やがて23人のうち14人が呼ばれたい名前を書いた名札をつけるようになりました。明音たちはこの呼ばれたい名前のことを『星の王子さま』にちなんで<星の名前>と呼びます。そして

 <星の名前>の名札をつけはじめたことによって、言いたいことに形を、言葉を、翼を与えたんだ。(p.126)

ということに気づくのです。その後、<星の名前>は隣のクラスにもひろがっていき、やがて学校全体を巻き込んでいきます。

さて、2023年4月、日本ではこども基本法が施行されました。こども基本法は、国連子どもの権利条約にのっとり、以下のことを基本理念として定めています。

こども基本法第3条
3全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、自己に直接関係する全ての事項に関して意見を表明する機会及び多様な社会的活動に参画する機会が確保されること。
4 全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮されること。

一方、教職課程の学生さんたちに子どもの権利について小中高校生時代に学んだことがあるかとたずねると、手が挙がるのはわずか1,2割といったところでしょうか。しかも、「教科書の中に1行だけ書いてあった」「名前しか知らない」という声が大半で、実際に権利を行使したことがあるのはほんの一握りです。
子どもの権利を学ぶことを、子どもの権利教育と呼ばずに「子どもの権利学習」と呼びます。それは、これまで使われてきた人権教育とは異なる側面があるからです。具体的には「子ども自身が子ども期にその権利を使えるようになることが想定されている点」(喜多、2010)にちがいがあります。
「子ども自身が子ども期にその権利を使えるようになること」-このことは、多くの研究者や実践者を悩ませてきました。これに対し、『#マイネーム』では、「呼ばれたい名前」のように子どもとおとなの力の不均衡を崩すしかけがあり、仲間との出会いを通して子どもが気持ちを形にし、声をあげます。読者は、明音たちとともにドキドキしながら権利行使のプロセスを体験することができます。子どもの権利学習の難しさを軽々と超える『#マイネーム』は、フィクションの力、児童文学の可能性に気づかされた1冊でした。

参考文献
黒川裕子 2021『#マイネーム』さ・え・ら書房
喜多明人 2010「いま求められている子どもの権利学習とは」子どもの権利条約総合研究所『子どもの権利研究』16号、日本評論社、pp.6-11
サン=テグジュペリ 2019『星の王子さま』文藝春秋

(工学院大学教授 安部芳絵)

「声のつながり大学」内「声のコラム」 第54回 2023年7月21日放送