災害から生まれることばに向き合う (紹介書籍『私のいない部屋』)20220318 安部第3回

声のコラム第2回では、沈黙の海の周りにある語られなかった言葉に思いを馳せました。第3回目は、ふたたび、レベッカ・ソルニットの本を手がかりに、災害とことばについて向き合っていきたいと思います。

災害に遭遇した人々や防災・復興にかかわる方々へのインタビューを通して、幾度となく「震災について語ることにためらいを感じる」ということばを耳にしました。そのなかには、ご自宅が一部損壊する被害にあったにもかかわらず「同じ地域にはもっと大変だった方がいるから」と語ることにひけめを感じていた方もいました。震災を直接経験していないのに、震災について語ってよいのかという葛藤を抱えながら防災にかかわりつづけている方もいらっしゃいました。

被災を語ることへのためらいは、なぜ生まれるのでしょうか。レベッカ・ソルニットは、『私のいない部屋』のなかで、「声をもつこと」について次のように述べています。

声をもつ、ということはただ動物として音声を発する能力をもつことではない。それはあなたの社会、あなたと他者の関係、そしてあなた自身の人生を左右する対話に加わるための完全な力を手にすることだ。声をもつことは三つの鍵となる要素がある。それは声が聞かれること、信じてもらえること、そして重んじられることだ。P.272

災害は、人びとにとってとても大きな出来事です。大きな出来事を口にするとき、ふだんよりも大きなエネルギーが必要です。口から発した言葉が、相手に聞いてもらえなかったとしたら、信じてもらえず、軽んじられてしまうとしたら、自分自身を削られてしまうような感覚に襲われます。日本はとかく災害の多い国です。身近な災害を語ることは、本来、誰にでもできることのはずです。しかし、聴く人のありかたによっては、語り手にためらいを引き起こしてしまうかもしれません。

兵庫県立舞子高等学校環境防災科の野村ゆずさん(2013年2月当時高3)は、東日本大震災からすぐの東松島に行き、一軒一軒家をたずねてまわった最後のお宅で「高校生やからできることはない」と言われたそうです。あぁやっぱり自分達高校生にはこんな大きな災害の後にできることはないのかなと思いつつ、せっかく神戸からやってきたこともあり、何とか粘ってそのお宅で活動をさせてもらいました。マットなど家財道具を洗ったり、2日間いろいろしているうちに、休憩時間にはだんだんと被災のお話をしてくださるようになっていきました。そして最後には「ありがとう」と言ってもらえて、「ちょっとでもできることがあったんかな」とふりかえっています。野村さんはその後も何度もこのお宅に足を運んでいます。同様のエピソードは、環境防災科のほかの高校生からも耳にしました。

災害を語る、語り継ぐというと、ついことばを発する側のことばかり考えてしまいがちです。しかし、ためらいつつも災害を語ることの鍵は、ことばを受け止める、聴く側にこそあるのかもしれません。語られなかった言葉を無理に引き出すのではなく、緊張したこころをほぐすように時間を共にすること。語られることばのまわりにただよう語られなかったことばに寄り添うこと。その人の、ただそばにいること。

ソルニットは声が重んじられることは重要な存在になることだと指摘します。

重んじられることとは、つまり重要な存在になるということだ。あなたが重要であればあなたは自分の権利のために言葉を使うことができる。言葉は証言する力、合意する力、境界線を引く力になる。あなたが重んじられる存在であれば、その言葉には自分の身に起きたことや起きなかったことを明確にする権威がある。これは平等な自己決定の一部としての同意の根拠にもなる力だ。(p.273)

声が聴かれ、信じられ、重んじられるとき、目の前には、弱く傷ついた被災者ではなく、災害を語りつぎ世界を拓く力のある存在としての語り手が確かに存在するのです。

参考文献

レベッカ・ソルニット『私のいない部屋』左右社、2021

公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 2013『震災後に中高生が果たした役割の記録プロジェクト報告書

(工学院大学 安部芳絵)

 

ラジオ3「声のつながり大学」内「声のコラム」2022年3月18日(金)放送

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